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September 20, 2006
すが秀実の処女作「花田清輝――砂のペルソナ」;ファーブル昆虫記「スカラベ・サクレ」
「スカラベ・サクレ」とは、ファーブル昆虫記の冒頭に出てくる「糞ころがし」のこと。
すが秀実は処女作「花田清輝――砂のペルソナ」の中で、花田を読むにあたって「愚鈍なシジフォス」たる「スカラベ・サクレ」であることを書いている。
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そのような者の一人として、花田清輝はたとえば『シジフォスの神話』のアルベール・カミュを名指すであろう。なるほど、決して「真理」へと辿りつきえない世界を生きなければならぬ者は、カミュが描き出してみせたシジフォスに似ているかもしれない。山頂に押し上げたと思ったら、たちまちころがり落ちるシジフォスの石は、ついに「真理」へと到達しえない「理論」や「思想」にも似ている。
だが花田清輝は、周知のようにシジフォスからスカラベ・サクレへの転換を主張する。スカラベ・サクレとはファーブル『昆虫記』の冒頭に描かれている「糞虫」のことである。
スカラベ・サクレもまた、シジフォスのように、わき眼もふらず、けわしい勾配を糞の玉をころがしながら、登っていく。ちょっと足を踏みはずすか、またはその平衡を乱すたった一つの砂粒にでもぶつかると、玉は、たちどころにごろごろと、谷底にむかってころがり落ちてしまう。玉のころがっていくはずみでひっくりかえったスカラベ・サクレは、しばらくもがいているが、やがて起きあがり、ふたたび玉を押すために勾配をくだっていく。(「スカラベ・サクレ」、『全集』第六巻)
石ではなく糞玉をころがす、このスカラベ・サクレに「悲劇ではなく喜劇」を見る花田にとって、カミュのシジフォスは悲劇的に――というよりはメロドラマ的に――見えていたのである。それはシジフォスがいまだ「真理」という幻影にとりつかれた存在であるということにほかならない。シジフォスの「真理」とは、カミュによって「意識の時間」と呼ばれたものである。山頂からころげ落ちた石を、再び押し上げるために下山するシジフォスは、「彼の不幸と同じ確実さでもって戻ってくるこの時間」、すなわち「意識の時間」において「各瞬間毎に自分の運命に打ち克つ」のだとカミュは言う。
私はシジフォスを山の麓に置いておく!
人はいつも繰り返し自分の重荷を見い出す。しかしシジフォスは神々を否定し岩を持ち上げる高い誠実さを教えるのだ。(中略)もはや主人をもたないこの宇宙は、彼には不毛だとも空しいものとも思われない。この石の一粒一粒、深い夜に満たされたこの山の金属的な輝きの一つ一つは、ただ一人の彼に対して、一つの世界を形づくる。頂上にむかう闘争そのものが人間の心を充分満たすのだ。(『シジフォスの神話』矢内原伊作訳)
ここでカミュは、神々ではないもう一つの「真理」を発見しているのであり、シジフォスは、かつて「真理」の下で生きた人々が抱いたのと同質な充足感を見い出してしまったのだと言えるだろう。
しかし、スカラベ・サクレには「カミュのいわゆる『意識の時間』がない」と花田は言う。愚鈍なシジフォスとしてのスカラベ・サクレ的存在にとって、「理論」や「思想」や、はたまた「全生涯」は、もはや石のように「一つの世界を形づくる」ような方向=意味をもった「真理」ではありえず、糞玉にすぎない。しかも糞玉を山頂に押し上げようとする目的論的な前提さえも廃棄されねばならないのである。石がシジフォスにとって我有化(内面化)すべきものであったのとは反対に、糞玉はスカラベ・サクレにとっては積極的に外部へと差し向けるべきものなのである。すなわち、「理論」や「思想」が我がものとはなりえず、外部(他者)のものとしてしか存在しえないのであってみれば、花田はスカラベ・サクレのようにそれらと積極的に戯れるほかはない。すなわち、「理論」や「思想」が我がものとはなりえず、外部(他者)のものとしてしか存在しえないのであってみれば、花田はスカラベ・サクレのようにそれらと積極的に戯れるほかはない。そのような戯れとは、多くの人々が時として花田についていうペダンティズムとは絶対的に隔たった、愚鈍な擬態であろう。
「シジフォスからスカラベ・サクレへ、通人から幇間へ、辛辣な道化から愚鈍な道化へ」(「スカラベ・サクレ」)と花田清輝は言う。だから、スカラベ・サクレ的擬態が演じられる場所を素描してみることが次になされなければならない。そして、そのような環境としての花田清輝の言葉を読むこともまた、読むもの自身がそのような擬態を演ずることにほかならない。
(すが秀実「花田清輝――砂のペルソナ」講談社 1982)
投稿者 akiuchi : September 20, 2006 11:19 AM