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November 05, 2006

ジョアン・ジルベルト joao gilberto

ジョアン・ジルベルトは神様?
2006年の日本公演は果たしてどうなんだろう?

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1979年のジョアン・ジルベルト
 ジョアン・ジルベルトの2003年の初来日以来、日本では(日本だけでないかもしれないが)ジョアン・ジルベルトは神様と崇められている。ネットで検索すると、ライブが神々しかったというレポートをいろいろな人が書いている。
 私がジョアン・ジルベルトを初めて聴いたのは、1979年頃だが、その頃はやっていたのは「テクノ・ポップ」や「フュージョン」で、ボサノヴァは過去の音楽と見なされ、ジョアン・ジルベルトを知っている級友はいなかった。なんかのきっかけで私がボサノヴァ好きだと級友にばれてしまい、さんざん馬鹿にされた。25年前に「ナウかった」音楽が今は省みられることが少なくなり、当時「過去の音楽」だったものが今も多くの人々をとらえ続けている。
 当時、私が住んでいた札幌には、玉光堂というレコード屋であった。当時、玉光堂ではレコードの試聴というのができて、聴きたいレコード(当時はLP)を持っていくと何でもヘッドフォンで聴かせてくれた。お金のない中3坊主にとってはこれはすごく有り難くて、だいぶレコードのタダ聴きをした。たぶん4枚試聴して1枚買うといったペースだっただろう。店の人にとっては迷惑な少年だったに違いない。
 ともあれそうして試聴して買わなかったレコードの一つに、ボサノヴァのいろんな曲を集めた編集盤があり、ジョアン・ジルベルトの「Samba de Uma Nota So」(ワン・ノート・サンバ)が入っていた。
 
アストラッドとジョアン
 ご多分に漏れず、私もボサノヴァ(というかブラジル音楽)が最初に好きになったのは、アストラッド・ジルベルトの「おいしい水」や「イパネマの娘」とかで、妹のエレクトーンの教本にでていて覚えた曲のオリジナルを聴いて、かっこいいと思ったのが最初だった。
 糖衣でくるんだようなアストラッドの音楽とは違って、初めて聞くジョアン・ジルベルトは何が何だか訳がわからない、という印象だった。ジョアンの歌は、ギターで刻むリズムの前へ行ったり、後をついてきたり、いつもずれているようだった。
 だが、ジョアン・ジルベルトに触れたことで、ボサノヴァが単なるイージー・リスニングでないことを知った。元妻のアストラッド・ジルベルトとは違う「本物」の響きがそこにあった。貴重な小遣いは当然のごとく、アストラッドではなくジョアンのアルバム購入に使った。
 初めて買ったジョアンのアルバムはJoao Gilberto(1973)で、高1の時だ。このアルバムにはすごくはまった。もし天国に何か一つだけ持っていっていいと言われれば、当時の私は迷わずこのアルバムをあげただろう。すり切れるまで聴き込んだ、と言いたいところが、すり切りたくなかったのでカセットにダビングしてカセットのほうを聴き込んだ。それでも、レコードを扱う時に緊張して傷をつけてしまった。いろいろとつらい時はこのアルバムを続けて何回も聴いた。当時の私の生存を支えていたといっても嘘ではない。

ジョアンを聴いて何を思い浮かべる?
 高校の時、学校の放送局をやっていた私は、Joao Gilberto(1973)を放送局のみんなに聴かせたり、お昼の校内放送で流したりした。ある友達(女)は、「暗い部屋で一人落ち込んでしんみり聴くといい」と言っていた。だけど、これはちょっと私には意外だった。
 ジョアンの音楽は明るいと思った。そもそも短調の悲しげな曲はほとんど歌っていない。上記のアルバムに入っている「黒と白の肖像」は、まるで悲嘆の中に崩れ落ちていくような曲で、これはこれでジョアンの名演の一つだけど、例外的だ。
 時としてギター以外の伴奏を伴わないことや録音の仕方(エコーをかけない)のせいで、密室の中のような気持ちになるかもしれないが、例えば上記のアルバムに入っている「ウンディウ」という曲をじっと聴いているとブラジルの暑い太陽や乾いた大平原が浮かぶ。1980年のライブ盤に入っている「クラレ」「私とそよ風」は、緑の森から吹いてくる涼やかな薫風の香りがする。

投稿者 akiuchi : November 5, 2006 11:06 AM