« 生誕100年記念―ダリ回顧展 | メイン | どうする日本のお産(東京大会) »

November 12, 2006

<はらたいらさん>肝不全のため死去、63歳

漫画家はらたいらが死去というニュースに驚く。まだ63歳。はらたいらといえばクイズダービーの博識ぶりをまず思い起こす人が多いと思うが私は「男の更年期」という言葉を思い起こす。初老期うつ病とどう違うのかまだよくわからないが更年期を克服してその後は元気に活躍しているのだろうと思っていただけに今回の訃報は以外だった。

<はらたいらさん>肝不全のため死去、63歳

 漫画家で、TBS系のクイズ番組「クイズダービー」で人気を集めたはらたいら(本名・原平=はら・たいら)さんが10日、肝不全のため死去した。63歳。葬儀は15日午前11時半、東京都板橋区板橋1の48の13の新板橋駅前ホール。お別れの会を後日、出身の高知県で開く予定。自宅は非公表。喪主は妻ちず子(ちずこ)さん。
 1963年にデビュー。ナンセンスギャグを得意とし、「モンローちゃん」が大ヒットした。作品は他に「ゲバゲバ時評」など。76年から16年間出演した「クイズダービー」では70%と高い正解率を誇り、博学で知られた。49歳からだるさ、気力のなさに悩まされた経験をつづった「はらたいらのジタバタ男の更年期」を00年に出版し、話題を呼んだ。
(毎日新聞) - 11月10日21時56分更新

はらたいら

はらたいら(本名:原 平、1943年3月8日 - 2006年11月10日 )は東京都文京区小石川在住、高知県香美郡土佐山田町(現香美市)出身の男性漫画家。

略歴
父・太郎、母・小夜子の長男として生まれる。姉の美和は元バスガイド。父・太郎は、たいらが生まれる前に結核で他界。ガキ大将としての逸話がある。その逸話は後に「最後のガキ大将」と言う題で著書になり、後に「ガキ大将がやってきた」(TBS系)と言うタイトルでドラマ化された。

高知県立山田高等学校普通科を1961年(昭和36年)3月に卒業。

1963年、『週刊漫画TIMES』(芳文社)の連載『新宿B·B(ベベ)』でデビュー。翌1964年高校の1級後輩のちず子と結婚。1972年『週刊漫画ゴラク』の連載『モンローちゃん』がヒットする。その後、1980年 サンケイ新聞の『ルートさん』、1988年 北海道新聞や中日新聞連載の『セロりん』、1981年-1983年,1989年-1990年 日本経済新聞連載の『ゲンペーくん』、沖縄タイムスの『グルくん』、公明新聞の『ポッコちゃん』、京都新聞の『パトロールのパトさん』、日刊ゲンダイの『ゴシップちゃん』など、数多くの新聞漫画を手がける。

野球にも造詣が深く、1976年に放送されたプロ野球ニュース(フジテレビ系)の毎週末の司会を務めるも、本業との兼ね合いからわずか3ヶ月で土居まさると交代することになる。しかし、それでも野球への情熱は冷めることはなく1978年には大ファンであった阪神タイガースの掛布雅之に「掛布と31匹の虫」の作詞を手がけ、プロデュースした。ちなみに、『掛布と31匹の虫』という曲はオムニバスCD「えっ!あの人がこんな歌を…。」(1990年7月21日発売)にも収録されている。

地元の民放局であるテレビ高知では『はらたいらのおらんく風土記』という、はらたいらが高知県内各地を訪れる人情ドキュメンタリー番組が過去に放送され、大好評だった。

また、落語愛好者には笑福亭鶴光の弟子の名付け親としても知られる。

1992年秋口から、更年期障害による眩暈・集中力低下を訴え連載を減らし闘病生活に。その時の一連の経過は、著書「はらたいらのジタバタ男の更年期」・「男も『更年期』がわかると楽になる」などに詳しい。また経験を生かし近年は男性更年期障害の公演も行った。

娘の原麻衣子はバレリーナ(元スターダンサーズ・バレエ団)である。正保ひろみなど、弟子筋の作家も輩出している。

2006年11月10日、肝臓癌のため埼玉県富士見市の病院で死去。享年63。当初の死因は肝不全と伝えられたが、2006年9月に検査入院した際にもともと肝硬変であった上に末期がんであったことが判明したという。訃報に接した大橋巨泉は「飲みすぎたのかな」と語った。

故郷に程近い高知県南国市(後免町駅徒歩2分)の、「はらたいらと世界のオルゴールの館」では原画を含め作品を鑑賞する事ができた。(2004年12月30日閉館)


クイズダービーの出演
かつてTBS系で放映された人気番組「クイズダービー」に、1976年に同じ漫画家の黒鉄ヒロシと交代する形で、長らく3枠のレギュラー解答者として活躍した。番組出演記録は、隣の4枠レギュラー解答者だった竹下景子に次いで第2位の記録であるが、番組出演者の中では一番の正解率を誇っている。最多連勝は27連勝(2度達成)で、勿論同番組では歴代1位の連勝記録だった(連勝記録の歴代2位はゲスト解答者として出演した黒沢久雄の24連勝。竹下景子は15連勝で歴代3位)。あまりにも正解率が高かったので「宇宙人」と呼ばれていたが、「実は正解を事前に聞いているのでは」と怪しまれたりもした(クイズダービーの作家であった景山民夫の小説『トラブルバスター』では事前にクイズの正解をもらっていた人物が登場、その人物は2本撮り収録の1本目で2本目の「正解」を書いてしまった)。

しかし4枠の竹下景子が得意としていた三択問題が彼の最大の弱点だったため、これで連勝が途切れる事が多かった。特にその三択で「ひとりを除いてみんなおんなじ答え」と司会の大橋巨泉が言うと、その不正解の一人がはらに該当する事が度々発生している。そのため連勝中の1問目には、巨泉から「三択だけは気をつけましょうね」と言われていた。また6問目の歌詞問題もはらにとってどちらかと言えば苦手であった。

クイズダービーではらに表示される倍率は、一般問題では2倍が殆どであるが、得意のニュースネタ、笑い話などの問題では1倍が、難しい問題では3倍が表示される事があった。苦手の三択問題では3倍が主であり、たまに1・2倍の表示もあったが、2000年末に放送された「SAMBA-TV」の復刻版では、三択ではらに4倍の表示が2回もされている。そして最終問題では、はらには2の倍数の4倍が殆どの表示であったが、まれに2倍・6倍の表示もあった。又7問目まで出場者が2万点を越えると、ほとんど「最後は、はらさんに2万点(又は全部)!」を賭けて、はらが正解して10万点を突破するケースが多かった。しかしごくまれだが、はらたいらが最終問題で不正解でかつ他の解答者が正解したために、出場者がまさかの0点になったり減点されてしまったパターンも有る。

投稿者 akiuchi : November 12, 2006 08:13 PM