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November 16, 2006
日本国際親善厚生財団理事長 多田正毅さん
私がかつて国際保健分野で生きていこうと考えていたころのご師匠さんの記事が目に留まった。「お産難民」という言葉が最近ははやっているが軽々しく”難民”などといってはいけないと思う。支えてくれるべき”国家”を失ったものたちが”難民”なのだという定義を知ってマスコミは果たして使っているのだろうか?私も反省したいと思う。事態の深刻さはわからないでもないが日本人を国内で”難民”などと軽々しく呼んではいけない。
[恩師の言葉]日本国際親善厚生財団理事長 多田正毅さん63=茨城 - 読売新聞 2006年10月25日(水)
◇ただ・まさき
◆医者はボランティアしないのか
国際医療支援に携わって4半世紀。この9月、タイ北部の町メーサイの国立病院内に開設した「メディカルトレーニングセンター」から初の卒業生を送り出した。
NGO「日本国際親善厚生財団(JIFF)」とタイ王室財団との共同プログラム。結核、エイズ、マラリアの3大感染病撲滅と医療水準向上を目指し、タイ、ミャンマー、ラオスなどメコン川流域の医療従事者を訓練している。
JIFFはセンターに医師や放射線技師、看護師を講師として派遣している。その教え子の巣立ちは「アジアで医療分野の人材を育てる」という多田の長年の夢がかなった瞬間だった。
父を継いで産婦人科医になり、1981年、結城市に城西病院を開業した。翌82年、所属していた日本青年会議所医療部会で集めた募金の使い道を考えていた時、日本国際ボランティアセンター(JVC)創設者の星野昌子に出会った。
初対面だったが、星野の言葉に遠慮はなかった。「なんで医者はボランティアをやらないんですか」。多田は面食らった。
大量のカンボジア難民救済のため、日本政府は医療チームを派遣していたが、「緊急性が薄れた」と撤退を決めたころ。JVCは「まだ協力が必要。先進国の仲間入りをした以上、日本も欧米並みに国際協力すべきだ」と、民間からボランティアで現地に渡る医師を探し回っていた。
多田は「まずは実態を見てこよう」と医療部会の仲間とカンボジア国境に出かけた。そして難民キャンプで、何の手当ても受けられずに次々と人が死んでいく光景を目の当たりにした。
「こんなことがあってはならない。国がやらなくてもおれがやる」。医師の血が騒ぎ、82年、城西病院内にJIFFを誕生させた。
88年、国際移住機構の要請で、全国で初めてアフガニスタン難民の患者も受け入れた。91年にはパキスタンのペシャワルに無料診療所を設け、2001年の9・11テロ後には多いときで1日2600人のアフガン難民を診察した。その後、アフガンの首都カブールに新設した「母と子のための診療所」に活動の中心を移した。
こうした貢献の一方で、多田はいつしか、「現地の人たちが自らの手で最低限の医療を行えるようにしたい」と考えるようになった。その結実がタイ・メーサイの「メディカルトレーニングセンター」だった。
もっとも、多田のモットーは「肩ひじ張らず、ボランティアは楽しんでやるもの。楽しくなければ続かない」。だから、海外から帰ってきたスタッフへの最初のねぎらいの言葉も「楽しかったかい」に決めている。(敬称略、金来ひろみ)
写真=子どもたちに文房具を手渡す多田理事長(2002年、カブールで。多田さん提供)
[読売新聞 ]
投稿者 akiuchi : November 16, 2006 07:32 AM