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December 28, 2006
懸念される孤独死増加 リスク、高齢者以外も
学生の頃、太宰治の「孤独地獄」という小説を読んだことがあると思い込んでいたのだが孤独地獄の作者は芥川龍之介だった。「孤独死」が日常化している現代では「孤独地獄」という言葉のインパクトもすっかり薄くなってしまったようだ。
懸念される孤独死増加 リスク、高齢者以外も 「特集」
記事:共同通信社
提供:共同通信社
【2006年12月27日】
1人暮らし世帯が増える中、誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」の増加が懸念されている。専門家によると、孤独死のリスクは高齢だけでなく「社会からの孤立」などの条件によっても高まり、2007年から大量退職を迎える団塊世代にとっても無縁ではないという。厚生労働省も、来年度から孤独死の防止対策に乗り出す。
厚労省の推計では、65歳以上の1人暮らし世帯が5年の386万世帯から25年には、高齢世帯の37%を占める680万世帯に増加。高齢の単身者が増えれば、それだけ孤独死のリスクは高まる。
一方、東京都監察医務院によると、04年に自宅で亡くなっているのが見つかった1人暮らしの人は23区内で約3000人。半数近い46%は64歳以下で、孤独死が高齢者だけの問題でないことを示している。この年齢では原則として介護保険を利用できず、行政サービスの枠外に置かれていることも影響しているとみられる。
阪神大震災後から多くの孤独死を見てきたみどり病院(神戸市)の額田勲(ぬかだ・いさお)理事長によると、リスクの高いのは「慢性疾患があり、低所得で社会的に孤立した人」。日本女子大の岩田正美(いわた・まさみ)教授(社会福祉)は「病気やリストラで失業し、家族と別れ、生きる気力も失うというケースが目立つ」と、社会との関係を断たれた男性の孤独死の多さを指摘する。監察医務院のデータ中7割近くが男性というのも、この見方を裏付けている。
1947年から49年にかけて生まれた団塊の世代が孤独死の数を押し上げる恐れもあるという。2005年の国勢調査では、この世代の男性は、下の世代の女性が少なかったことなどが影響し9%強が未婚で、60台前半の6%程度に比べ未婚率が高い。死別、離婚なども含めた配偶者のいない人は5人に1人。岩田教授は「職場としか関係を築いてこなかった人は、(退職で)その関係が切れると孤独死予備軍になりかねない」と警鐘を鳴らす。
厚労省が来年度からスタートさせる「孤立死ゼロ・プロジェクト」は、定期的な訪問や支援ネットワーク作りなどを進める市町村に対し、事業費半額を補助。有識者会議も設置し支援策を検討する方針だ。
千葉県松戸市の常盤平団地で孤独死対策に取り組んでいる中沢卓美(なかざわ・たくみ)自治会長は「人に手を差し伸べることが、自分の孤独死を防ぐことにもなる」と、行政の施策だけでなく、個人と社会とのつながりの大切さを強調している。
孤獨地獄
芥川龍之介:作
この話を自分は母から聞いた。母はそれを自分の大叔父(オホヲヂ)から聞いたと云つ
てゐる。話の眞僞(シンギ)は知らない。唯大叔父自身の性行から推して、かう云ふ事も
隨分ありさうだと思ふだけである。
大叔父は所謂(イハユル)大通(ダイツウ)の一人で、幕末の藝人や文人の間に知己(チキ)の數
が多かつた。河竹(カハタケ)默阿彌(モクアミ)、柳下亭(リウカテイ)種員(タネカズ)、善哉庵(ゼンザイア
ン)永機(エイキ)、同冬映(トウエイ)、九代目團十郎(ダンジフラウ)、宇治(ウヂ)紫文(シブン)、都(ミ
ヤコ)千中(センチウ)、乾坤坊(ケンコンバウ)良齋(リヤウサイ)などの人々である。中でも默阿彌(モクアミ)
は、「江戸櫻(エドザクラ)清水(キヨミヅ)清玄(セイゲン)」で紀國屋(キノクニヤ)文左衞門(ブンザ'エ
モン)を書くのに、この大叔父を粉本(フンポン)にした。物故してから、もう彼是(カレコレ)五
十年になるが、生前一時は今紀文(イマキブン)と綽號(アダナ)された事があるから、今でも
名だけは聞いてゐる人があるかも知れない。--姓は細木(サイキ)、名は藤次郎(トウジラ
ウ)、俳名(ハイミヤウ)は香以(カウイ)、俗稱は山城河岸(ヤマシロガシ)の津藤(ツトウ)と云つた男であ
る。
その津藤が或時吉原の玉屋で、一人の僧侶と近づきになつた。本郷(ホンガウ)界隈(カイ
ワイ)の或(アル)禪寺の住職(ジユウシヨク)で、名は禪超(ゼンテウ)と云つたさうである。それが
やはり嫖客(ヘウカク)となつて、玉屋の錦木(ニシキギ)と云ふ華魁(オイラン)に馴染(ナジ)んでゐ
た。勿論、肉食(ニクジキ)妻帶(サイタイ)が僧侶に禁ぜられてゐた時分の事であるから、表
向きはどこまでも出家(シユツケ)ではない。黄八丈(キハチヂヤウ)の着物に黒羽二重(クロハブタヘ)
の紋付(モンツキ)と云ふ拵(コシラ)へで人には醫者だと號してゐる。--それと偶然近づき
になつた。
偶然と云ふのは燈籠(トウロウ)時分(ジブン)の或夜、玉屋の二階で、津藤(ツトウ)が廁(カハヤ)
へ行つた歸りしなに何氣なく廊下(ラウカ)を通ると、欄干(ランカン)にもたれながら、月を
見てゐる男があつた。坊主頭(バウズアタマ)の、どちらかと云へば背の低い、痩(ヤセ)ぎす
な男である。津藤は、月あかりで、これを出入の太鼓(タイコ)醫者竹内(チクナイ)だと思つ
た。そこで、通りすぎながら、手をのばして、ちよいとその耳を引張つた。驚いてふ
り向く所を、笑つてやらうと思つたからである。
所がふり向いた顏を見ると、反つて此方(コツチ)が驚いた。坊主頭と云ふ事を除いた
ら、竹内(チクナイ)と似てゐる所などは一つもない。--相手は額(ヒタヒ)の廣い割に、眉
(マユ)と眉との間が險しく狹つてゐる。眼の大きく見えるのは、肉の落ちてゐるからで
あらう。左の頬(ホホ)にある大きな黒子(ホクロ)は、その時でもはつきり見えた。その上
顴骨(ケンコツ)が高い。--これだけの顏かたちが、とぎれとぎれに、慌(アワタダ)しく津
藤(ツトウ)の眼にはいつた。
「何か御用かな。」その坊主は腹を立てたやうな聲でかう云つた。いくらか酒氣も帶
びてゐるらしい。
前に書くのを忘れたが、その時津藤(ツトウ)には藝者が一人に幇間(ホウカン)が一人つい
てゐた。この手合(テアヒ)は津藤にあやまらせて、それを默つて見てゐるわけには行か
ない。そこで幇間(ホウカン)が、津藤に代つて、その客に疎忽(ソコツ)の詫(ワビ)をした。さ
うしてその間に、津藤は藝著をつれて、匆々(ソウソウ)自分の座敷へ歸つて來た。いくら
大通(ダイツウ)でも間(マ)が惡かつたものと見える。坊主の方では、幇間から間違の仔細
(シサイ)をきくと、すぐに機嫌を直して大笑ひをしたさうである。その坊主が禪超(ゼンテ
ウ)だつた事は云ふまでもない。
その後で、津藤(ツトウ)が菓子の臺を持たせて、向うへ詫(ワ)ぴにやる。向うでも氣の
毒がつて、わざわざ禮に來る。それから二人の交情が結ばれた。尤(モツト)も結ばれた
と云つても、玉屋の二階で遇(ア)ふだけで、互に往來はしなかつたらしい。津藤は酒
を一滴も飮まないが、禪超は寧(ムシロ)、大酒家である。それからどちらかと云ふと、
禪超の方が持物に贅(ゼイ)をつくしてゐる。最後に女色に沈湎(チンメン)するのも、やは
り禪超の方が甚しい。津藤自身が、これをどちらが出家だか解らないと批評した。-
-大兵(ダイヒヤウ)肥滿(ヒマン)で、容貌(ヨウバウ)の醜かつた津藤は、五分(ゴブ)月代(サカヤキ)
に銀鎖(ギングサリ)の懸守(カケモリ)と云ふ姿で、平素は好んでめくら縞の着物に白木(シロキ)
の三尺をしめてゐたと云ふ男である。
或日津藤(ツトウ)が禪超(ゼンテウ)に遇ふと、禪超は錦木(ニシキギ)のしかけを羽織つて、
三味線(シヤミセン)をひいてゐた。日頃から血色の惡い男であるが、今日は殊によくない。
眼も充血してゐる。彈力のない皮膚(ヒフ)が時々口許(クチモト)で痙攣(ケイレン)する。津藤は
すぐに何か心配があるのではないかと思つた。自分のやうなものでも相談相手になれ
るなら是非させて預きたい--さう云ふ口吻(コウフン)を洩(モ)らして見たが、別にこれ
と云つて打明ける事もないらしい。唯、何時(イツ)もよりも口數が少くなつて、ややも
すると談柄(ダンペイ)を失(シツ)しがちである。そこで津藤は、これを嫖客(ヘウカク)のかか
りやすい倦怠<アンニユイ>だと解釋した。酒色を恣(ホシイママ)にしてゐる人間がかかつた倦怠
<アンニユイ>は、酒色で癒(ナホ)る筈がない。かう云ふはめから、二人は何時になくしんみ
りした話をした。すると禪超は急に何か思ひ出したやうな容子(ヨウス)で、こんな事を
云つたさうである。
佛説によると、地獄(ヂゴク)にもさまざまあるが、凡(オヨソ)先(マ)づ、根本(コンポン)地
獄、近邊(キンペン)地獄、孤獨(コドク)地獄の三つに分(ワカ)つ事が出來るらしい。それも
南瞻部洲下(ナンセンブシウノシモ)過五百踰繕那(ゴヒヤクユゼンナヲスギテハ)乃(スナハチ)有地獄(ヂゴクアリ)
と云ふ句があるから、大抵(タイテイ)は昔から地下にあるものとなつてゐたのであらう。
唯、その中で孤獨地獄だけは、山間(サンカン)曠野(クワウヤ)樹下(ジユカ)空中(クウチウ)、何處へ
でも忽然(コツゼン)として現れる。云はば目前の境界(キヤウガイ)が、すぐそのまゝ、地獄
の苦艱(クゲン)を現前するのである。自分は二三年前から、この地獄へ墮(オ)ちた。一
切(イツサイ)の事が少しも永續した興味を與へない。だから何時(イツ)でも一つの境界から
一つの境界を追つて生きてゐる。勿論それでも地獄は逃れられない。さうかと云つて
境界を變へずにゐれば猶(ナホ)、苦しい思をする。そこでやはり轉々としてその日その
日の苦しみを忘れるやうな生活をしてゆく。しかし、それもしまひには苦しくなると
すれば、死んでしまふよりも外(ホカ)はない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌だつた。
今では……
最後の句は、津藤(ツトウ)の耳にはいらなかつた。禪超(ゼンテウ)が又三味線の調子を合
せながら、低い聲で云つたからである。--それ以來、禪超は玉屋へ來なくなつた。
誰も、この放蕩(ハウタウ)三味(ザンマイ)の禪僧がそれからどうなつたか、知つてゐる者は
ない。唯その日禪超は、錦木の許(モト)へ金剛經(コンガウキヤウ)の疏抄(ソセウ)を一册忘れて
行つた。津藤が後年零落(レイラク)して、下總(シモフサ)の寒川(サムカハ)へ閑居した時に常に机
上にあつた書籍の一つはこの疏抄(ソセウ)である。津藤はその表紙の裏ヘ「菫野(スミレノ)
や露に氣のつく年(トシ)四十」と、自作の句を書き加へた。その本は今では殘つてゐな
い。句ももう覺えてゐる人は一人もなからう。
安政(アンセイ)四年頃の話である。母は地獄と云ふ語の興味で、この話を覺えてゐたも
のらしい。
一日の大部分を書齋で暮してゐる自分は、生活の上から云つて、自分の大叔父やこ
の禪僧とは、全然沒交渉な世界に住んでゐる人間である。又興味の上から云つても、
自分は徳川時代の戲作(ゲサク)や浮世繪に、特殊な興味を待つてゐる者ではない。しか
も自分の中にある或心もちは、動(ヤヤ)もすれば孤獨地獄と云ふ語を介(カイ)して、自分
の同情を彼等の生活に注(ソソ)ごうとする。が、自分はそれを否(イナ)まうとは思はない。
何故(ナゼ)と云ヘば、或意味で自分も亦、孤獨地獄に苦しめられてゐる一人だからで
ある。
(大正五年二月)
投稿者 akiuchi : December 28, 2006 07:39 AM