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January 11, 2007

第6回 公判前整理のご報告(県立大野病院事件)

周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページに県立大野病院事件の公判概略についての詳しい記事が掲載された。(2007/1/5)検察側は弁護側が提出した証拠採用を拒否しているという。産婦人科学会のみならず日本医学会までほとんどすべての医師(ごく一部を除く)を敵に回して検察がこの裁判を勝ち抜く方法は医者を悪者にしたがるマスコミをうまく味方につけることしかない。十分ありうる話だ。医者はいくら増えたといっても日本社会ではまだまだマイナーな存在だからな・・・

毎日新聞は医者に批判的なマスコミの筆頭だと思っていたら福島県産婦人科医会の会長を務める幡先生の意見を全面的に取り入れた記事が掲載されていた。これは日本のマスコミがいいほう方向へ向かっているということなのだろうか?

12月14日(金)に開催されました、公判前整理(6回目)の報告
http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%B8%F8%C8%BD%B3%B5%CE%AC%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%2806%2F12%2F19%29 

公判前整理は今回で終了する予定でしたが、決着はつかず、公判が始まってからも継続することとなりました。

第6回 公判前整理のご報告
 平成18年12月14日(金)、午後1時から午後4時半頃まで、第6回公判前整理が福島地方裁判所で開催されました。弁護団は平岩敬一弁護団長をはじめ7名で話し合いにのぞみました。今回で公判前整理は終了し、1月26日より公判が行われる予定でしたが、弁護団側から提出した証拠134点の殆どに対し検察側が不同意を示したため、裁判所の方から検察側に再考するようにとの指示があり、公判が始まった後でも、裁判官、検察官、弁護団との話し合いを継続することとなりました。しかし、1月26日(金)に第1回目の公判が予定通り開催されることとなり、今回の話し合いで2月以降毎月1回公判が開催されることとなりました。

 公判開催日は以下の如く決定いたしました。

第1回 1月26日(金)

第2回 2月23日(金)

第3回 3月16日(金)

第4回 4月27日(金)

第5回 5月25日(金)

(毎回 午前10時から午後5時までの予定、場所は福島地方裁判所)

また、今回、公判の争点として以下の如き点が挙がりました。

1.癒着胎盤の部位と程度

2.出血の部位・程度とその予見性

3.死亡したこととの因果関係

4.胎盤を剥離したことの妥当性、つまり、クーパー使用の妥当性

5.医師法21条違反の正否

などと決定しました。

 1月26日(金)の第1回目の公判は冒頭陳述、2回目以降から検察が申請した証人8名の尋問が行われることになりました。8名の証人とは、県立大野病院のすぐ近くの双葉厚生病院の産婦人科医、手術に一緒に参加した外科医、病院長、手術室にいた看護師、助産師、摘出した子宮の病理を担当した病理の医師、今回の事件について鑑定した医師の8名で、1回の公判で2名ずつ、証人尋問に立つ予定と決定いたしました。しかし、これで裁判は終了することはなく、その後、弁護団からの証人尋問もあり、裁判は当初、考えていた期間より長くなる見込みとなりました(一年位はかかると思われます)。

 次回は、第1回公判の結果についてご報告する予定です。  以上

平成18年12月19日

(文責 佐藤 章)

生きる・福島2007:命の輝きを求めて/5止 減少する産婦人科医 /福島
1月7日11時1分配信 毎日新聞


 ◇医療事故で風当たり 敬遠する学生や研修医--行政の具体策が不可欠
 「おめでとうございます。女の子です。時間は午前11時17分です」
 昨年のクリスマス。福島市北町の産婦人科「明治病院」(幡研一院長)の分べん室のドアが開き、それまで静かだった院内に看護師の声が響いた。45分ほど前に陣痛室に入ったままの妻玉根響子さん(28)の無事な出産を硬い表情で待ち続けていた夫寿彦さん(26)の顔が思わずほころんだ。この日は寿彦さんの誕生日だった。
 2238グラム。
 他の赤ちゃんに比べて少し軽いが元気だ。予定日は26日だった。医師からは「遅れる可能性が高い」と言われていた。しかし、小さな命は、父親と同じクリスマスに生を受けた。
 寿彦さんの仕事は大工。生まれたばかりの赤ちゃんの小さな手のひらを、武骨な人さし指で恐る恐る触った。看護師から「父さん、これから末長くね」と言われると、「(父親の)実感がわき始めてきた」と照れくさそうに話した。
 初産を無事終え満足げな表情の響子さんは、分べん室のベッドに横になったまま我が子に優しくほおずりした。
 明治病院は1910年開院。初代の祖父から数え幡院長は4代目にあたる。単科病院としては、県内で最も歴史がある。幡院長がこの病院で働き始めた81年には年間の出産は1300人だったが、昨年は500人前後にまで減った。少子化と同様、産婦人科医も減少している。
 県内では、県立大野病院で起きた帝王切開手術中の医療事故で、昨年2月、産婦人科医が業務上過失致死、医師法違反容疑で逮捕、起訴された事件以降、産婦人科医不足問題がさらにクローズアップされた。
 県の産婦人科医会長を務める幡院長は、全国の産婦人科医からの後押しを受けて起訴された医師の支援に取り組み、これまでに保釈金や裁判での弁護士費用などを募金からねん出してきた。
 幡院長は「あの一件以来、学生や研修医の間でますます産婦人科医を、敬遠する向きが強くなったのを肌で感じる」と危機感を募らせる。大野病院をはじめ、県内でも産婦人科の休診が相次いでいるが、「行政は医師の集約化を叫ぶが、民間の医師をどう巻き込むか具体策がない」と指摘する。
 産婦人科医は妊婦の予期しない出産に備え、医師の中でも拘束時間が長い。それに見合った収入があるかと言えば、そうではないという。
 しかし、幡院長は「『自分も明治病院で生まれた』という妊婦も多く、そういう時に充実感を味わう」と、産婦人科医ならではのやりがいも感じている。響子さんも明治病院で生まれた。
 寿彦さんと響子さんの長女は「雛菜(ひな)」ちゃんと名付けられた。寿彦さんは「うちのだけ保育器に入っている。他の赤ちゃんと並んでいると小さくて少し心配だけど、元気にすくすく優しい子に育ってほしい」と話した。
 ちょっと小さくても輝き始めた命。その輝きを与える現場が直面している危機。医師不足問題にどう対処するか、社会全体として向き合っていかねばならない。=おわり
   ◇   ◇
 この企画は西嶋正法、坂本昌信、町田徳丈、松本惇、今村茜が担当しました。

1月7日朝刊

投稿者 akiuchi : January 11, 2007 05:43 AM