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February 04, 2007
「不妊夫婦に光」信じ 体外受精児誕生に国内初の成功 鈴木雅洲氏に聞く=宮城
日本の不妊症治療のパイオニア・鈴木雅洲先生の紹介記事が出ていた。85歳で現役というのは驚きだな。
「不妊夫婦に光」信じ 体外受精児誕生に国内初の成功 鈴木雅洲氏に聞く=宮城
◇東北大100年
◆85歳現役
東北大で1983年、国内初の体外受精児誕生に成功した鈴木雅洲(まさくに)・同大名誉教授(85)は、医療の最前線で現役として活躍している。体外受精の実施件数は年々増加し、誕生した赤ちゃんは年間約1万8000人(2004年)に上る。こうした中、昨年10月には長野県諏訪市のクリニックで「孫」を代理出産したケースが明らかになるなど、生殖医療を巡る論議は尽きない。鈴木名誉教授に体外受精への取り組みや考え方などを聞いた。(聞き手・木村達矢)
◆おおらかな校風
--産婦人科医になったきっかけは
東京帝大医学部を卒業したのが終戦直後の46年。ベビーブームが訪れたが、仙台市内でも3人くらいしか産婦人科開業医がおらず、今よりもはるかに深刻な医師不足だった。そんな中、人に勧められたこともあり、東北帝大医学部の産科婦人科学教室に入った。
当時、この教室には、篠田糺先生(後に岩手医大学長)や九嶋勝司先生(後に秋田大学長)らがいて、全国有数のレベルを誇っていた。
--体外受精研究の国内の中心人物になった
もともと、性ホルモンや細胞培養の研究を行っていた。70年代はまだ細胞培養の技術が未熟で、世界中の研究者が体外受精の可能性を探っていた。私は日本から唯一、体外受精の国際研究グループに参加した。
78年に英国の研究者が世界で初めて体外受精児の誕生に成功したが、200人試してようやく1人成功するほどの成功率でしかない。我々が83年に国内初の体外受精児を誕生させた時も、100人くらい失敗を重ねた。最大の問題は培養液に含まれる微量の有害物質。水の問題が解決するまで世界第1例から10年かかった。1例成功したからと言って、技術が完成するわけではない。
--当時、世界中で体外受精技術に対する倫理的な問題が指摘された
マスコミや市民団体からは激しい攻撃を受け、他大学の産婦人科医からも「体外受精はやるべきでない」と言われ続けた。しかし、東北大の中では、批判されることはなかった。東北大はいい意味でのんきでおおらか。「新しいことをやるときは批判もある」というとらえ方をしてくれた。
特に全国の麻酔科医が体外受精への協力を拒む中、東北大の麻酔科は協力してくれた。麻酔科が協力してくれなかったら、東北大で体外受精が成功することはあり得なかった。
--批判を受けながら、それでも体外受精研究を続けたのはなぜか
やはり、体外受精が不妊夫婦に大きな力を与えるとの思いがあった。東北大を定年退職後の86年、岩沼市に国内初の不妊症専門病院「スズキ病院」を設立したが、体外受精技術が実用化できるかどうか確かめることが目的だった。
実用化できると確信できたのは、約15年前。体外受精が社会的に理解されるまでには30年かかった。
◆法規制まだ早い
--代理出産問題などをきっかけに、生殖医療に対する法規制をすべきとの議論もある
生殖医療技術は発展途上にあり、法規制はまだ早い。今、法律を作ってしまうと、学問が発展したときに役に立たなくなる。代理出産についても、代理母や依頼した夫婦の心理状態など、心理学的な研究は尽くされていないし、社会的、道徳的研究も行われていない。医学、心理学、文学、芸術などさまざまな分野の専門家が集まって議論すべきだ。
--85歳の今も、外来診療を担当するなど第一線に立つ。健康の秘訣(ひけつ)は
いろいろな評判を聞いて、優秀な医者を見つけ、定期的に健康診断してもらうことだ。優秀な医者であれば、専門以外の病気も見つけてくれる。医者が悪ければ、助かる患者も死ぬ。医者が良ければ、死ぬはずの患者が助かる。
【略歴】仙台市出身。東京帝大医学部卒。東北大助教授、新潟大教授を経て、70年から東北大教授。85年に同大名誉教授。86年に国内初の不妊症専門病院「スズキ病院」(昨年、スズキ記念病院に改称)の院長に就任。これまで体外受精で妊娠・出産した数は1000人以上に上る。
写真=「おおらかな東北大の雰囲気が国内初の体外受精児誕生を成功させた」と語る鈴木氏(スズキ記念病院で)
[読売新聞 ]
投稿者 akiuchi : February 4, 2007 10:55 AM