January 29, 2007
カリフォルニアのRさんからの便り-太極拳
アメリカのRさんから近況報告のメールが届きました。「太極拳」の指導を市民向けにはじめたという話しです。Rさんから時々このようなメールが届くので差し支えない範囲でこのブログでも紹介したいと思います。
お元気ですか。
こちらは例年になく降雨が少なくて、洪水の心配がないのが嬉しい日々です。夏になると節水を迫られるでしょうけど、今のところは大丈夫のようです。
さて、去年こちらへ戻ってから模索していた事が実現し、嬉しく思っている事をお知らせします。
こちらへ来てから何かをしたいと思っていたところ、O市(私達の住んでいる所)の成人学校の案内に「資格がなくても得意なものを教えたい人を探している」とあったので、打診してみました。太極拳を教えたいなァと思っていたのです。私が生徒として通っているクラスとは別に、私が習ってきた事で社会奉仕が出来たら・・・、と願っていたのです。早速プロモーションビデオ?を作成、太極拳や剣、扇を使ったものなど、映像なら私の力を明瞭に示せると思って。自分を売り込むために手紙や友人の推薦書や、色々書類を整えて提出したのが11月末。すぐに興味を示してくれたのですが、理事会にかけてOKがでるまではっきりとした返事はもらえなかったのです。加えて、私の指導資格証明書は日本語なので、その英訳書が必要といわれました。私が訳したのでは駄目で、プロに頼め、と。幸い日本で英語学校を譲り受けてくれた友人がこちらへクリスマス休暇で帰国していたので、私が英訳して彼女の署名だけをお願いしたのです。お役所仕事ゆえ?色々面倒な事もありましたが、それを提出してOK。昨日1月25日からクラスが始まりました。週一回90分で8回コース。生徒数が6名以下ならボランティアかキャンセル。私は無料奉仕でも始めたいと伝えておきましたが、開けてみたら14名来てくれました。金額は生徒の数で変化するのですが、14名だと時給$20.30です。金額よりも好きでやってきた事が認められて、ものすごく嬉しいのが事実です。アルテミスのレッスン場のような素敵な場所ではありませんが、長男が通う高校のレスリングと体育の部屋で指導しています。
先生もお体に気をつけて! R
投稿者 akiuchi : 08:57 PM
January 01, 2007
新年明けましておめでとうございます
旧年中は大変お世話になりました。2006年は産婦人科医にとっては本当に厳しい一年でしたが2007年は果たしてどうなるでしょう?
今年は除夜の鐘を聞きながら近くの神社に初詣をしてきました。
本年が皆様にとって良い年であることを祈念致します。

医療法人アップル 理事長 木内 敦夫
投稿者 akiuchi : 09:35 AM
December 03, 2006
忘年会
12月2日(土)の午後、群馬県の開業産科医の先生方4名がアルテミスに見学に来られた。群馬県は診療所のお産が7割と高率で病院の産科は栃木県と同様に閉鎖になっているところが多いという厳しい状況にあるという。お産を扱う有床診療所が社会から正当に取り扱われない限りお産を扱う施設の減少傾向に歯止めはかかりそうにない。何度も繰り返すが病院と診療所の有機的な繋がりがなければ日本の周産期システムはこれから悪化の一途をたどることになるだろう。
6時半からきうち産婦人科医院の忘年会。千葉から三宅先生、神奈川から八幡先生も駆けつけてくれた。小児科、麻酔科など多くの先生やスタッフのおかげできうち医院は来年19周年を迎えることになる。私はその1年前から院長代理として働いていたので来年3月には20年が経過することになる。本当に感慨深いものがある。これまできうち医院に関わったすべての職員に感謝!
投稿者 akiuchi : 06:17 PM
December 01, 2006
女性医師による産婦人科診療
女性産婦人科医師のY先生と話す機会があった。彼女は中部地方の大学を出た後に聖路加国際病院で研修を受けてドイツへ留学。現在は東京で女性専門外来を担当しているという。一人目をドイツで出産して帰国。一ヶ月前に日本で第2子を出産した。お産のすばらしさを熱っぽく話してくださった。ここのところ産科医療には悲観的になっていたが少し元気をもらうことができたようだ。周産期医療もこれからの時代は彼女たちが主役になるのだろう。
投稿者 akiuchi : 07:42 AM
徳田前議員が難病を告白
特洲会の虎田徳雄氏に会ったのは大学を卒業する1980年の春。東京の本部事務所で面接をしてもらった。握手をされた手が外形に似合わず妙に柔らかかった。結局徳洲会とは縁がなかったが、あれから26年が過ぎたのだと思うと感慨深いものがある。それにしてもあのエネルギッシュな徳田虎雄氏が4年も前から難病のALSで闘病中とは人生何が起こるかわからない。そういえば当時徳洲会の徳田虎雄氏とともに医学生のカリスマだった長野の佐久病院院長・若月俊一先生が今年の8月に逝去された。改めてご冥福を祈りたい。
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徳田前議員が難病を告白 人工呼吸器付け、あいさつ
06/11/30
記事:共同通信社
提供:共同通信社
ID:408593
前衆院議員の徳田虎雄(とくだ・とらお)氏(68)が29日、全身の筋肉が動かなくなる進行性の難病、筋委縮性側索硬化症(ALS)にかかり闘病中であることを、横浜市で開かれた患者団体「日本ALS協会」の設立20周年記念式典に参加して告白した。
徳田氏は車いすで秘書らに伴われ、壇上へ。人工呼吸器を付けており会話はできないため、事前に用意した文章を一文ずつ指さし、秘書が代読。「駆け出しの患者です」と切り出し「人生は苦しいことが多いほど豊かになる。神はぼくをもっと幸せにするためにこの病気を与えた」などと笑顔を見せた。
その後、会場を回り患者一人一人と手を握り合った。
医療法人徳洲会によると、徳田氏は2002年春に発症。その後、症状が進行して自発呼吸が難しくなり、気管切開をして人工呼吸器を付けた。徳洲会理事長の職務をこなす以外はここ2、3年、人前に出ることはなかったが、この日はほかの患者に会いたいと思い立ったという。
自由連合代表だった徳田氏は、04年2月ごろから病気を理由に療養し、昨年8月に政界引退を表明した。
「農民とともに」若月俊一さん 佐久で「お別れの会」 3200人献花=長野 読売新聞 2006年10月8日(日)
佐久総合病院(佐久市臼田)の院長、名誉院長、総長、名誉総長を務め、8月22日に死去した若月俊一さん(享年96)の「お別れの会」が7日、県厚生連と同病院、若月家の合同葬として病院教育ホールで行われた。
白菊で浅間山をかたどった祭壇には、遺骨が安置され、遺影が飾られた。仏式による葬儀に続き、一般住民や現役・OB職員ら約3200人が献花した。式典には各界代表350人が参列、村井知事が「先生は農村医学という新しい分野を確立され、本県の健康長寿の基礎を築いてくれました。全県民と共にご冥福(めいふく)を祈ります」と弔辞を述べた。若月さんが作詞した病院歌「農民とともに」の合唱も披露された。
付属看護学校体育館に会場を移した「御斎(おとぎ)の席」では、思い出のビデオが上映される中、故人がこよなく愛した酒を酌み交わし、みんなで「農民医療の父」をしのんだ。
[追悼抄]8月 佐久総合病院名誉総長・若月俊一さん 農民と共にある医療
◇わかつき・としかず(8月22日、肺炎で死去、96歳)
農村医療の先駆者は、自分が育てた長野県佐久市の病院で眠るように最期を迎えた。遺言から、遺体は病理解剖された。「『後輩に少しでも執刀や所見の経験を』という配慮でしょう。とても厳粛でした」と、主治医だった北沢彰浩・地域ケア科医長(41)。遺体が院内に安置されると瞬く間に、“教え子”ら1500人が列を作った。
東京出身。学生時代、マルクス主義に傾倒した。同じ病院で老人保健施設長を務める長男、健一さん(65)は「医療の民主化、平等への思いが強かったと言っていた。それが農民の救済へと駆り立てたのでしょう」と振り返る。
東京帝大医学部を卒業してから9年後の1945年(昭和20年)3月。恩師の勧めもあり、この地に来た。
当時、入院患者は病院の廊下で炊事をしていた。疎開者は食べ物がなく苦労していると知り、戦後すぐ保険を使った給食を始めた。
医者を呼ぶとカネがかかる。我慢する。そして手遅れに。「それでは」と、牛車を押して出張診療を始めた。旧八千穂村(佐久穂町)では59年、約1200世帯6300人すべての診察カードが作られ、定期健診が始まった。村の衛生指導員だった出浦経幸さん(72)は、「どんな家にも飛び込む気さくな先生だった。冗談を言っては笑わせていた」と懐かしむ。
健診の取り組みは全国に広まった。
日本農村医学会を設立し、後継者の育成にも傾注。院内で体験を語る「若月塾」は、92年から26回を数えた。赴任翌年から院長を務め、3人だった医師は約200人、病床約1000の医療機関に発展させた。
「大将は才覚ある実業家、かつ優秀な政治家だった。それが病院長の仕事に幅と厚みを持たせた」。同じ長野県厚生連傘下の北信総合病院元院長、清水善次さん(83)はそう“診断”する。
そんな若月さんに、「何ともタフ」とうならせる習慣があった。宴会で酒を飲んだ後の午前2時、3時、病院の自室に戻り、立って原稿を書いた。「座ると眠くなる」。90歳ごろまで続いた。
98年に名誉総長となって一線を退いてからも病院に折に触れて顔を出し、後輩を見守り続けた。2年ほど前から体調を崩し、昨年10月の学会の宴席が公の場での最後の姿となった。
著書は若手医師をとりこにした「村で病気とたたかう」など22冊にのぼった。ヒューマニズムを貫き、色紙を求められると、「健康は平和の礎」と記した。
10月7日、最後のお別れ会が病院で開かれる。列には旧八千穂村民も加わる。(長野支局 新開収)
写真=佐久総合病院の名誉総長に就任した際、パーティーで看護師らに囲まれる若月さん(1998年4月撮影、同病院提供)
[読売新聞 ]
写真=白菊で浅間山をかたどった若月さんの祭壇に、大勢の人が献花に訪れた
[読売新聞 ]
悼:佐久総合病院名誉総長・若月俊一さん=8月22日死去・96歳
◇「平等な医療」精神残し--若月俊一(わかつき・としかず)さん
「山の中の医者で一生を送る」。終戦間近の1945年3月、35歳の青年医師はそう誓い長野県の農村へ赴任した。農村医療の先駆者として大きな足跡を残し、61年後の8月24日、亡きがらは、自ら作詞した「農民とともに」の合唱で病院関係者に見送られた。
当時、町工場を回って実施していた労災調査に治安維持法違反の疑いがかかり、約1年の拘置から解放されたばかり。心身共に疲れ切っていた時に、恩師の東京帝大付属病院教授が出した助け舟が「信州の農民のために働く気はないか」。開設間もない臼田町(現佐久市)の佐久病院(現佐久総合病院)勤務だった。
「農村では小作人の立場になる。演説はしないで演劇をやること」。敬愛する宮沢賢治の教えを実践した。悪くならない限り医者にかかろうとしない農民のために、牛車などに医療器具を積み込んでは農村を回り、あぜ道でも診療を続けた。医師や看護師と創作劇を演じながら、啓発を図り、農村に必要な医療を模索した。
そして生まれたのが「予防は治療に勝る」の信念だった。59年に人口6350の八千穂村(現佐久穂町)で健康管理事業を始める。
15歳以上の全員を対象に集団健診を実施。血圧など基礎データのほか、食生活などを記入した個人個人の健康台帳を作った。村民には健康手帳を配り、自ら日々の状態を記入させた。病気の早期発見につながって医療費軽減にも役立ち、試みは後に全国へ広がった。
医療の一線を退いても「初心を忘れてはならない」と患者との対話を重ね、その時間を大切にした。自ら創立した日本農村医学会では、昨年10月の長野県軽井沢での学会にも参加。公の場での最後の姿となった。
どこでも平等な医療を受けられることを実践した「若月精神」。手塩にかけた病院は、当初のベッド数20床足らずから、1000床を超す総合病院となり、最先端医療導入を目指して移転計画を進めている。
苦楽を共にした松島松翠・名誉院長は「若月精神を風化させてはならない。その精神をどう発展させていくか、議論する必要がある」と決意する。【藤澤正和】
[毎日新聞 ]
[編集手帳]信州に上医あり…若月俊一さん逝く
全国的にどれだけ知られているか、それぞれの地名にも有名無名の差はある。佐久総合病院は間違いなく信州・佐久地方の知名度を上げたものの一つだろう◆同病院名誉総長の若月俊一さんが96歳で亡くなった。会見した長男の健一さんは「酒宴で思い切り飲み、みんなと大いに語り合うのが大好きだった」と語り、夏川周介院長は「道理から外れたことに対しては、徹底して怒った」と追想した◆同病院の医師で芥川賞作家の南木佳士さんが若月さんの評伝「信州に上医あり」(岩波新書)を書いている。多くの職員とともに、農村医療と言えば佐久を連想するほどの病院を築き上げた秘密がよくわかる◆「若月の発想の原点は常に住民のニーズにある。地域住民の求めに応じてきた結果、佐久病院は自然に大きくなっていった」という一節がある。農民の悩んでいることなら何でも取り上げたという◆様々な医療問題が噴出しているが、厚生労働省は住民の願うような制度作りをしているか。病院や医師の仕事ぶりは、どうだろうか。そんなことを考えさせられた◆島崎藤村も堀辰雄も「佐久ぐらい、雲の美しい所はない」と言ったという若月さんの文章も紹介されている。東京が故郷だった若月さんは、きっとそうと信じつつ千曲川流域のこの土地で生涯を全うしたのかもしれない。
[読売新聞 ]
若月俊一さん死去:「道切り開いた人」--佐久総合病院の南木医長 /長野
生涯を農村医学の発展に尽くした佐久総合病院の若月俊一名誉総長が22日、96年の生涯を閉じた。若月さんの評伝「信州に上医あり」などを著した同病院内科医長、南木佳士(本名・霜田哲夫)さん(54)に、若月さんの素顔を語ってもらった。【藤澤正和】
私は、若月さんの著書「村で病気たたかう」(71年、岩波新書)を読み、「そんな理想的な病院があるのか確かめたくて」、77年から勤務した。すでに病院は農民とともに歩む医療現場として、全国に知れ渡っていた。若月さんは強烈な個性を持ち、いくつもの顔を持っていた人。俗っぽくもあり何とも言えない魅力的な人だった。
小説「ダイヤモンドダスト」で芥川賞を受賞した私を若月さんは部下というより作家と見てくれた。ご自身も文学をやりたかったが、「文学では飯が食えないから医者になった」と話していた。芥川賞をとった時、「東京にいなくてもちゃんと出来るんだよな」と喜んでくれた。
「農村医学をやってきた先生は、実際に田んぼに入ったことがおありですか」と意地悪な質問をしたことがある。正直に「1回だけ」とおっしゃられた。地域に同化して小さな医療をやる人もいれば、周囲を啓蒙して大きなことをやっていく人もいる。先生は後者の典型だった。
細部にこだわらず、大きな木を切り開いて先に進む。後に続いて道をならす実務は、私たちより上の引退された優秀なスタッフが支えていた。私たちの世代はその遺産を受け継いでいるので、楽だったといえる。「金と人事はオレがやる」が口癖。「黒いネコでも白いネコでも、金を出すところなら、どこからでも取ってくるぞ」と言っていた。いろいろな人に魅力を持たれた人だと思う。
先生が名前を覚えていた私たちの世代は、年をとり、若月先生の時代とともに、自分もその時代の終わりを体感している。
[毎日新聞 ]
投稿者 akiuchi : 06:59 AM
November 30, 2006
ニュースレター「ぷるぷる通信12月号」原稿
今年の漢字「崩」「壊」?-1年を振り返って考える- 医療法人アップル理事長 木内 敦夫
今年も残すところあとわずかとなって慌しくなって参りました。毎年この時期になると「今年の漢字」というニュースが流れます。これは財団法人日本漢字能力検定協会がその年をイメージする漢字一字の公募を全国より行い、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として、発表するものです。1995年にスタートした企画で、毎年12月12日の「漢字の日」に京都の清水寺奥の院舞台にて、貫主により巨大な半紙に漢字一字が揮毫され、その後、本尊である千手観世音菩薩に奉納されるそうです。自由国民社の新語・流行語大賞などと並んで、現代日本の世相を反映する一つの指標として使われることが多いといわれています。ちなみに昨年の漢字は「愛」でした。これは「愛・地球博」の開催、紀宮様のご成婚、電車男などの純愛ブーム、卓球やゴルフで「アイちゃん」が大活躍したことによるものだそうです。今年の漢字として何が選ばれるのか興味深いところがありますが医療の世界に関していえば第一候補として挙げられる漢字は崩壊の「崩」か「壊」だと私は考えています。11月18日(土)にホテル東日本で虎の門病院泌尿器科部長の小松秀樹先生を宇都宮にお招きして塩谷郡市医師会主催の講演会を開催いたしました。小松先生は「医療崩壊-立ち去り型サボタージュ」(朝日新聞社)という本を今年出版されて一躍注目を集めることになりました。本の中で小松先生は日本の医療に関して行政、マスコミ、検察・警察、医師会、大学などの問題点を鋭く指摘されています。産婦人科医療に関していえば今年は2月の福島県大野病院事件、8月の横浜堀病院内診問題事件、10月の奈良県大淀病院事件と周産期医療崩壊に直結する大きな事件が相次ぎました。「立ち去り型サボタージュ」という言葉はリスクが多くて報われない医療現場から医師が逃げ出すという意味です。栃木県内でも産科を閉鎖してお産の取り扱いを止める病院、診療所が相次いでいます。11月号のニュースレターでも何とか周産期医療の崩壊をくい止めなければ大変なことになると訴えましたが事態は私の予想を超えて急速に進行しているようです。医療崩壊によって困るのは地域住民の皆様です。こどもの自殺=学校・学級崩壊、家庭内暴力=家庭崩壊など暗いニュースばかりが毎日報道されておりますがこのまま行くと日本という国家そのものが崩壊するのではないかと心配になってきます。「美しい日本」がこのまま崩壊することがないように来年は良い年であることを祈ります。
投稿者 akiuchi : 07:36 AM
November 22, 2006
メルマガ「あっぷる子育てプルプル通信」プラスワン11月号原稿
メルマガ最終号の原稿を書き上げました。これからはこちらのブログで情報発信をしていきたいと思います。
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今年も残すところあと僅かとなってしまいましたが皆様いかがお過ごしでしょうか?
今年を振り返るとなんといっても大きなイベントは春のアルテミス宇都宮クリニックの開業です。開業半年を経てどうにか軌道に乗ることができたようですがまだ当初考えていた理想の出産環境には程遠いものがあります。これで医療法人アップルは4つの産婦人科クリニックを運営することになり年間3000人近い妊婦さんのお産を管理することになります。横浜の堀病院は年間3000人のお産で「日本一」ということですが私も責任の重さを痛感いたします。
今年は2月の福島県大野病院事件、8月の横浜堀病院内診問題、10月の奈良県大淀病院事件と周産期医療崩壊に直結する大きな事件が相次ぎました。私が所属する塩谷郡市医師会の主催で11月18日(土)、虎の門病院泌尿器科部長の小松秀樹先生(「医療崩壊-立ち去り型サボタージュ」著者)を宇都宮にお招きして講演会を開催いたしました。当初あまり参加者がいないのではないかと心配した東日本ホテルの会場は満員。普段の学術をテーマにした講演会とは違った医療の本質に迫る小松先生のお話に集まった医療関係者が熱心に耳を傾けていました。講演後の質問でも勤務医、開業医などそれぞれの立場から現在の閉塞的医療状況を突破するにはどうしたらいいのかという質問が集中いたしました。主催者として講演前に小松先生に個人的にお話を伺う機会があり「具体的にはどうすればいいのか?」と質問させていただいたのですが小松先生は「医師会や勤務医ユニオンなどの組織ではなくて個人として積極的にマスコミや法曹界、大衆に発言を続けていくことが大事だ」といわれていました。
今回の講演会は福島の大野事件を契機に塩谷郡市医師会で署名運動を行った流れから学術委員会に私が提案して尾形会長、座長の山田先生など関係者が動いて下さったことにより実現に漕ぎ付けることができたものです。塩谷郡市医師会は地方の小さな医師会ですが病診連携、市民広報などの活動に尾形会長のもと積極的に取り組んでいます。私も塩谷郡市医師会に所属してよかったなと最近は思っております。日本の多くの医者はリーダーの老齢化の中で地域に関わりながら発言するということもままならずにフラストレーションを溜め込んでいるのではないでしょうか。医療現場から「立ち去りたい」と考えているのは勤務医のみならず開業医も似たような状況だと私は思います。ここは若手医師(私はもう年をとりすぎてしまいましたが)の奮起に期待したいところです。来月は済生会栗橋病院副院長の本田宏先生(医療制度研究会)が獨協医大で講演をされるということなのでその辺のお話が伺えるのではないかと期待しております。
追伸:メルマガの配信は諸般の事情により次号からしばらくお休みさせていただくことになりました。また復活できる日が来るまでこのブログを引き続き継続したいと思っております。
投稿者 akiuchi : 03:02 PM
November 03, 2006
周産期医療の崩壊をくい止めるために(ニュースレター原稿)
周産期医療の崩壊をくい止めるために(ニュースレター「プルプル通信」11月号原稿)
医療法人アップル理事長 木内 敦夫
日本の周産期医療のレベルは世界でもトップレベルにあるということは皆様も良くご存知だと思います。生まれてくる赤ちゃんやが不幸にして死亡するという数字を周産期死亡率、またお母さんがなくなってしまう数字を妊産婦死亡率といいます。周産期死亡率は出生1000人に対する数字、妊産婦死亡率は出生10万人に対する数字です。2004年の日本における統計データはそれぞれ3.3人(対出生1000人)、4.3人(対出生10万人)と世界の先進国に比べて最高レベルにあるということができます。欧米の周産期死亡率は7から8、妊産婦死亡率は5から8程度です。ちなみに私が昔医療協力で出かけたことがあるエチオピアやカンボジアの妊産婦死亡率は500人から1000人を越えるといわれています。ところが世界でもトップレベルのお産の安全性が最近大きく揺らいできています。お産をしたいと思っても分娩施設がないという信じられないことが日本中で問題になっています。産婦人科医、助産師、小児科医が全国で不足しています。24時間拘束される産科医の激務、医療訴訟のリスクなどが敬遠されて若い医師が育っていないということがその原因といわれています。奈良県で脳内出血を起こした妊婦さんを転送する病院が見つからずに大阪の病院で手術を受けるまでに6時間もかかって妊婦さんが亡くなるという不幸な事故が最近報道されました。栃木県では自治医大と獨協医大に総合周産期医療センターができたおかげで母体搬送で苦労するという話は少なくなりましたがセンター病院の先生によるとベッドがいっぱいで搬送を受け入れることが難しいために苦労しているという話もお聞きします。私どものような地域の診療所でローリスクのお産を引き受けることによってセンター病院が本来のハイリスク妊娠に集中できるようにするシステムを作ることが周産期医療の崩壊をくい止めるためには重要なことだと私は考えております。
先日「LongLife」という雑誌に私のインタビュー記事が掲載されました。WEB上でもご覧頂ける様にいたしましたのでご参照ください。
http://www.auc.med-apple.co.jp/p-topics/longlife/page01.htm
投稿者 akiuchi : 03:42 PM
September 30, 2006
内診問題:日産婦医会栃木県支部長の野口先生からのFax
日産婦医会栃木県支部長の野口先生から「分娩を取り扱っている施設の先生方へ」というFaxが送られてきた。現在栃木県内で分娩を取り扱っている施設45のうち13の病院を除いた32の有床診療所の中で常勤の助産師が4人以上いる施設は5施設だけということになるという。厚労省の課長通達を守って看護師が内診をしないということになれば開業医は体を壊して潰れてしまうことになるだろう。今回進行している内診問題は医療費抑制という御旗の元に厚労省が推進しているセンター化集約化計画の中で起こっているまさに「開業医つぶし」と理解しなければならない。「診療所は健診、お産は大病院」というオープンシステムは東京などの大都市でしか機能しないということが彼らにはわからない。「安全性」という幻想をふりまいて日本の周産期医療を崩壊させるやつらを放置しておくことはできない。医療崩壊を阻止するために私もいよいよ本気で取り組まねばならなくなってしまったようだ。ドンキホーテの心境だな。サンチョパンサとロシナンテはいずこにいるのだろう?


投稿者 akiuchi : 11:06 AM
医療法人アップルが目指す3つのS
医療法人アップルが目指す3つのS 医療法人アップル理事長・木内敦夫
医療法人アップルでは患者様向けサービスの目標を3つのSとしてまとめて院内に掲示することにいたしました。1つ目のSは「Safety=安全」、2つ目のSは「Satisfaction=快適、満足」そして3つ目のSは「Sustainability=持続」です。お産に関して「安全性と快適性」が大事だという考えは厚労省の健やか親子21でも取り上げられているので良く知られていると思いますが最後のS=Sustainability(サステインナビリティ)に関しては耳新しい方も多いと思います。ここでは妊娠・出産・育児といった女性の生涯に持続的に関わるという意味で使われています。最近新しいライフスタイルとして流行している言葉にロハス(LOHAS)がありますがそのLOHASの最後のSがSustainabilityを意味しています。環境にやさしい循環型の永続性ある社会を目指す企業や個人のあり方がこれからの時代にはふさわしいようです。地域に根差す医療機関として組織は持続性を持たなければなりません。未来に責任を持つということは患者さんや地域住民のみならず医療法人アップルの職員にとっても重要なことだと考えております。そこで持続性については「地域に根差して未来に繋ぐ」という標語を付け加えることにいたしました。栃木県矢板市で私が産婦人科診療に関わるようになってそろそろ20年という歳月が流れようとしております。3つのSを実現するために医療法人アップルは職員全員がチームワークを大切にしてこれからも取り組んでいこうと思っています。(ニュースレター「あっぷる子育てプルプル通信」10月号原稿)
投稿者 akiuchi : 05:25 AM
September 29, 2006
県立こども病院、ハチジョー&COZY
自治医大前駅までひとを送ったついでに衝動的に自治医大こども病院を見学。小児科の桃谷先生に無理をいって案内してもらう。広い空間、明るい配色。栃木県が小児科医療に取り組む拠点となる病院。きっと私の施設で産まれた子供たちの何人かもこの病院のお世話になるのだろうと思うと感慨深かった。設計は日建設計。
その後ハチノジョーというお店でアルテミスを設計した高木さんと和田さんと飲む。室内の壁は大谷石。落ち着いた感じのいいお店だった。彼らから聞く建築の話はいつも刺激的だ。医療という後ろ向きの仕事と違って前向きなクリエイティブな世界はやはり羨ましい。(それなりに大変そうではあるが)
http://www.tochinavi.net/shop/shop1.shtml?s=3589
市役所西側のcozyというお店で2次会。毎週木曜日はJAZZ LIVEを開催。島田絵里(fl)&井上綾子(p)という若い女性デュオによる演奏を堪能した。「ジャズの街宇都宮」も悪くないなと思った。
http://www.ujazz.net/cozy00.htm
http://cozy.main.jp/
投稿者 akiuchi : 06:31 AM
September 20, 2006
シシュポスの独り言;ファーブルの糞転がし

ブログのタイトルを「シシュポスの独り言」としたのはファーブル昆虫記のなかで糞転がし(スカラベ)をシシュポスのようだとファーブルが表現しているところから拝借した。20年前に栃木県に来てひとりで毎月50近いお産に向かいながら疲れていたころに自分の人生はちょうど「糞転がし」のような繰り返しだなと自嘲気味に思ったものである。カミュはそのシシュポスの人生を肯定的に捕らえていた。あれからどれだけのお産と向き合ってきたのだろう。あのころは永遠に続くと思っていた私の仕事もそろそろ終焉が近づいてきたようだ。きっとこれから残りの人生は一つ一つの重い荷物を大事に頂上まで運ぶことに限りない喜びを覚えるとともにまたリセットして麓に戻ってやり直すことにも無常の生きがいを感じることだろう。山が崩壊しそうな気配を感じながらもこれが私の天職なのだろうと最近は思って毎日を過ごしている。

シシュポス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シシュポスはギリシア神話に登場する人物。長音表記ではシーシュポス。シジフォス、シシュフォスとも。コリントスの創建者。徒労を意味する「シシュポスの岩」で知られる。
シシュポスはテッサリア王アイオロスとエナレテの息子で、兄弟にサルモネウスとアタマスがいる。プレイアデスのひとりメロペを妻とした。シシュポスの子グラウコスはベレロポンの父である。シシュポスはエピュラを創建し、エピュラは後にコリントスの名で知られるようになった。一説には、メデイアがシシュポスにコリントスを贈ったともいう。また、ヘラに狂気を吹き込まれたアタマスに追われたイノとメリケルテスが海に身を投げた事件を記念して、シシュポスはイストミア祭の競技会を始めたという。
目次
1 神話
1.1 ペイレネの泉
1.2 テュロ
1.3 シシュポスの抵抗
1.4 シシュポスの岩
1.5 シシュポスとアウトリュコス
神話
ペイレネの泉
ゼウスがアイギーナを誘拐したとき、アイギーナの父親河神アソポスは娘の行方を捜してコリントスまでやってきた。シシュポスはアソポスに、コリントスの城に水の涸れない泉を作ってくれたらアイギーナのことを教えると持ちかけた。アソポスがペイレネの泉を湧き出させたので、シシュポスはゼウスとアイギーナの居所を告げた。このときゼウスが恐れて岩に姿を変え、アソポスをやり過ごしたことは、アイアコスの項を参照のこと。ペイレネの泉は、後にベレロポンがペガソスを馴らした場所として知られる。
テュロ
父のアイオロスが死ぬと、シシュポスの兄弟サルモネウスがその跡を継いでテッサリア王となった。シシュポスはこのことに腹を立て、デルポイの神託所に伺いを立てた。お告げは「おまえの姪と交わって子供をもうければ、その子供たちが恨みを晴らしてくれるだろう」というものだった。そこでシシュポスはサルモネウスの娘テュロを誘惑した。テュロはやがてシシュポスの行為が自分への愛情からではなく、サルモネウスへの憎しみからであることに気づき、生まれた二人の子供を自分の手で殺した。
シシュポスの抵抗
告げ口の恨みと、テュロの件と二つの理由があったと考えられるが、ゼウスはシシュポスをタルタロスに連行するようハデスに命じた。ゼウスの命を受けたのはハデスではなく、タナトスだともいわれる。しかし、シシュポスは言葉巧みにハデスが持ってきた手錠の使い方を教えてくれと頼み、これにまんまと引っかかったハデスが自分の手で実演してみせるといきなり手錠に鍵をかけてしまった。ハデスがシシュポスの家から出られなくなると、首を切られた者も八つ裂きに処された者もだれも死ぬことができなくなった。このことでいちばん困ったのはアレスで、自分の権利を侵されそうになったのでハデスを助け出し、シシュポスを捕らえた。
その間シシュポスは、妻のメロペに、決して自分の葬式を出してはならないと言い含めておいた。冥府に連れてこられたシシュポスは、ペルセポネに葬式がすんでいないことを訴え、自分を省みない妻に復讐するために三日間だけ生き返らせてくれと頼んだ。シシュポスは冥府から戻ると、約束を反故にしてこの世に居座った。やむなくヘルメスがシシュポスを力ずくで連れ戻した。
シシュポスの岩
シシュポスは罰として、タルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられた。岩はゼウスが姿を変えたときのものと同じ大きさといわれる。シシュポスがあと少しで山頂に届くというところまで岩を上げたところで、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまうのである。これが永遠に繰り返されている。この「シシュポスの岩」については、タンタロスにも似た話が伝えられている。
メロペは、シシュポスの末路を恥じて、夜空に輝く星の姉妹から離れ、姿を隠したという。これは、紀元前2000年紀の終わりごろ、おうし座のプレアデス星団の星が一つ見えなくなった事実を示しているともいわれる。
シシュポスとアウトリュコス
シシュポスがコリントスにいたころ、その近くにヘルメスの息子アウトリュコスが住んでいて、シシュポスの家畜をたびたび盗んでわがものにしていた。アウトリュコスは、盗んだ家畜の姿を変える力を父から授かっていたので、シシュポスの家畜の角が生えているものは角をなくし、色の黒いものを白くしたりなどしてしまい、盗みが誰の仕業かわからないようにしていた。怪しんだシシュポスは、自分の家畜の蹄の内側にSSという頭文字を刻み込んでおいた。
ある夜、例によってアウトリュコスが盗みを働いた。翌朝、シシュポスは自分の家畜小屋から道沿いに蹄の跡がつづいているのを見て、近くの人々を呼び出して証人とし、アウトリュコスの家畜小屋で家畜の蹄の内側を確認すると、果たしてSSの文字があった。空とぼけるアウトリュコスと証人たちが口論となっている間、シシュポスはアウトリュコスの娘でラエルテスの妻となっていたアンティクレイアと交わったという。こうして生まれたのがオデュッセウスであり、オデュッセウスの抜け目のなさは、アウトリュコスとシシュポスの二人から受け継いだのだといわれる。
投稿者 akiuchi : 11:29 AM
プルプル通信メルマガ版 第42号 *9月号*(Vol.19 No.16)
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> 2006年9月20日発行
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■朝夕めっきり涼しくなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?プルプル通信メルマガ版第42号(9月号)をお届けいたします。前回のメルマガを発行した直後に「周産期医療の崩壊」を加速する事件が横浜で起こりました。日本一の出産数を誇る堀病院で無資格の看護師による内診が行われていたとして警察による家宅捜索が入りました。私はこの問題が日本の周産期医療に与える影響は今年2月に福島県大野病院で起こった産婦人科医師不当逮捕事件同様に大きなものだと認識しております。虎の門病院泌尿器科部長の小松秀樹先生が書かれた「医療崩壊-立ち去り型サボタージュ-とは何か」を前回のメルマガでご紹介いたしましたが同じ著者による「慈恵医大青戸病院事件-医療の構造と実践的倫理-」に警察が医療事故の調査に加わることに関して厳しい指摘がなされています。■「わが国の警察、検察は犯罪捜査と刑事責任追及はすべてに優先すると考えているらしい。そのために事故が多発しようが、医療が混乱しようが、気にする様子はうかがえない。警察、検察を抑えるべき権威はわが国には存在しないようにみえる。本来、国内法に優先すべき国際条約も、国内にしか関心を持たない警察、検察を制御できていない。国土交通省、厚生労働省は、事実上、警察庁の下位におかれている。政治家も警察、検察に口出しできない。警察は理解力に問題があるためか、科学にも敬意を払わない。見込み捜査と自白強要という、昔ながらの犯罪捜査が、科学的調査を必要とする場面に土足で踏み込んでいる。警察、検察の活動について、チェック機構が働いているように思えない。チェックのない権力がどのようなものか、歴史を紐解くまでもなく、現在の世界を観察すれば十分に理解できる。」(p76)この文章は1985年の日航機事故で群馬県警が押収した圧力隔壁の提出を国際的な調査機関の要請にも関わらず拒否したことと医療事故の調査を絡めて群馬県警の姿勢を「卑小、愚か、かつ依怙地」と批判しているくだりである。この本が発行されたのは2年前の2004年9月であるがその後起こっている警察の医療事故への介入をまのあたりにすると小松先生の先見の明には驚かされる。ちなみに青戸病院事件で医師3名が逮捕されたのは2003年9月である。詳しいことは今回新しく立ち上げた私自身のブログで解説することにしようと考えているが今回の警察の捜査が周産期医療の崩壊を加速させたことは間違いない。■また報道と行政(厚労省)のあり方に関しても以下のごとく厳しいことが書かれているが私も今回の内診問題をめぐるマスコミの報道に接して同様な危機感を抱かざるを得ないと思う。小松先生が医療崩壊をくい止めるために立ち上がった経緯をすべての医療関係者は理解しなければならない。「わが国には、すべてを把握し、長期的見地から国益を考え、国民を指導する「お上」は、もはや存在しない。場面場面で世論からどのようにみられるかが、政策決定者の最も重要な判断基準であるようにみえる。これは議会制民主主義に内包するものであり、必然的帰結である。国民は国民的熱狂が、だれにも逆らえない政治的力を持つことを自覚すべきである。熱狂の裏で、冷静な権力者が、事態を正しく認識し、適切に対処してくれるなどと甘い期待を持ってはならない。マスコミ人は自分の持つ権力の大きさをもっと自覚すべきである。扇情的記事を書くとき、その影響の広がりと最終的解決まで考えておく責任がある。あるいは多様な意見を意識的に世に出す努力をすべきである。なぜなら、マスコミが一方向に走り出すと、冷静な議論は封殺される。現在の政治体制では、政府すら、適切な施策ができなくなるからである。」(p83)■日経産業新聞にアルテミスが紹介された。「外観豪華」という表現では中身が空っぽというような印象を受けるのでいささか失望させられたが新しい産婦人科の流れということで都内の御三家(愛育、山王、聖路加)とともに紹介されたことはきっと悪いことではないのだと思う。アルテミスでは「デザイン」性を重んじたことは事実であるが単なる外観の美しさに留まらず機能的な面においても評価されるような病院にしたいと考えている。■そこでアルテミスの目標とする3つのSを院内に表示した。Safety=安全、Satisfaction=快適、満足、Sustainability=持続・・・「地域に根差して未来に繋ぐ」。お産に関して「安全性と快適性」は厚労省の健やか親子21でも取り上げられているので良く知られているが最後のS(持続性)に関しては耳新しい方も多いと思う。最近流行の言葉にロハス(LOHAS)があるがの最後のSがでSustainabilityを意味している。環境にやさしい循環型の永続性を大事にする社会という思想が流れている。組織のあり方として未来に責任を持つことは患者さんや地域住民のみならず職員にとっても重要なことだと考えている■読書の秋ということもあって積読状態になっていた本を読み始めた。小松先生の本にも医学生の時には山登りと読書に明け暮れたとかかれているが青戸病院事件の本ではホーソンの「緋文字」を引用してアメリカがドイツの医師を処罰したことを清教徒理念優先の残酷さと批判している。また「医療崩壊」の中ではマスコミ批判として本多勝一の「戦場の村」と開高健の「ベトナム戦記」を比較している。医療問題に関する本においても小松先生の教養の高さをうかがい知ることができる。その小松先生を栃木県にお招きして講演会を開催する計画が地元の医師会で現在進行中である。11月18日(土)開催を予定しているが、詳しいことは次号のメルマガでお知らせしたいと思う。小松先生とお会いできる日を楽しみにしている。■文学といえば文芸春秋9月号に掲載されたを芥川賞受賞作品「八月の路上に捨てる」(伊藤たかみ)を読んだのだがその面白さがさっぱりわからなかった。「文学とは何か?」最近はビジネス関係の書籍ばかり読んでいたので小説とはすっかり遠ざかっていた。大塚英志の「初心者のための『文学』」(角川書店)という本を先日本屋で見つけて買ってきた。この著者はサブカルチャー、オタクといった分野に詳しいのだがかつて「『彼女たち』の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義」という本の中で果敢にフェミニズムを批判していて共感を覚えた記憶がある。今回の本では「私」が文学の中心にあるということが強調されていた。「私とは何か?」永遠に難しい哲学的大問題だ。打って変わって直木賞作家・渡辺淳一の「愛の流刑地」という本も読んでみた。こちらは気恥ずかしくなるようなベタな話の展開に辟易させられた。(実は結構楽しんだりもしているだが・・・)確か渡辺淳一は札幌医大整形外科講師をしていたと思う。才能があったからということになるのだろうが医者から作家への「逃散」をいち早く決め込んだ彼の選択眼の鋭さには脱帽する。才能のない不器用な医者は果たしてこれからの日本でどのように生きていけばいいのだろうか?どうも憂鬱な秋になってきた。(木内)
投稿者 akiuchi : 05:44 AM
August 21, 2006
医療法人アップル理事長・気まぐれ日記
日々のできごとを気の向くままに自由に書き留めて行きたいと思う。題して「医療法人アップル理事長・気まぐれ日記-シシュポスの独り言-」。果たして三日坊主に終わらずにいつまで続けることができるか?あまり無理をしないで気楽に好きなことを記録に残していこうと思う。